Australia


第2章 自転車での出発
−The Diary 1988 in Australia−

10日目 July 15
 組み上げた自転車を3階から1階まで降ろすのは予想外の重労働だった。このCB PRIVATE HOTELにはエレベータがない。荷物や予備パーツ満載の自転車は50キロの重量がある。荷物を外すのが面倒なので、このまま降ろそうとしたことも問題だった。
 ホテルの階段でもがく悲惨な私を見て何人かが助けてくれた。そうしてようやく自転車をロビーまで降ろすことができた。
 ホテルの人たちに見送られシドニーを出発し、プリンセスハイウェイを南へ向かう。南太平洋沿いのこのルートはこの先メルボルン、そしてアデレードへと続く。ただ、1ヶ月以上はかかるだろう。
 クルマが走るためのハイウェイは、思った以上にアップダウンがあった。登り坂ではずっしりと重い自転車をゆっくりと押した。少しでも気を緩めると押し戻されそうだ。初日から体力の消耗が激しい。ただ、まわりの風景は妙にすがすがしかった。
 Heathcoatという町に着いたところで、今日は走るのをあきらめることにした。たったの37kmしか走ってないが、初日なので無理をせずここで泊まることに決めた。自転車に体が馴れるまでには、まだまだ日数がかかることだろう。
 まだ明るかったので、テントを張る場所をのんびりと探すことにした。しばらく町を走っていくと、オーストラリア人の青年が彼の家の庭から私に声をかけてきた。彼は自分の裏庭にテントを張るように勧めてくれた。ありがたいことだ。さっそく裏庭のまるでキャンプ場のように広々とした芝生の上に遠慮なくテントを張らせてもらうことにした。
 テントを張り荷物を片づけほっと一息ついていると、さっきの彼ロドニーがやってきた。明日は仲間たちとケービング(洞窟探検)へ行くから、よければ一緒に来いという。
 もちろん私はイエスと答えた。
(Mr.Crane's House,Heathcoat)
 スタート初日からすごい展開になってしまいました。
11日目 July 16
 ロドニーに起こされのは朝の3時半だった。出発が早いため、彼に勧められ夕方のうちにテントをたたみ、空いた部屋のベッドを使わせてもらっていた。荷物も昨晩のうちにまとめておいたので素早く行動できた。
 彼の三菱パジェロに乗り込み、途中で仲間の3台のクルマと合流し、ブルーマウンテン国立公園のコロン鍾乳洞へと向かう。約200キロを走り、午前中のうちにクルマは無事キャンプ地へ到着した。そして山道を1時間ほど奥へと歩き、ようやく鍾乳洞の前に立つことができた。
 目の前の岩山に直径十数メートルほどの大きな割れ目があった。ただそれだけだった。チケット売り場もなければ入場ゲートもない。もちろん階段も手すりも照明もなかった。
 私はツナギで全身を包み、頭にはヘルメットとヘッドランプ、腰にはヘッドランプのバッテリーを着けていた。まるで装備だけは探検家のようだった。
 ヘッドランプの光の届く範囲以外は漆黒の暗闇だった。濡れてすべる岩にしがみつき、地べたに這いつくばり、岩の間をすり抜け、壁をよじ登り、地の底へ飛びおり、激流をも飛び越えた。恐怖と不安と疲労。すでに時間の概念もなくなっていた。
 何時間鍾乳洞の中を進んだのだろうか。ようやく最深部にたどり着いた。岩の隙間に金属のケースが置いてあり、その中に記名ノートがあった。
 皆が順番に自分の名を書込んでいく。そして私の番がきた。そのノートに日本人の名はなかった、私は漢字で自分の名を書き込んだ。日本人第1号として。
 外の世界はすでに夕方に近い時間となっていた。再び山道を戻り、キャンプ地にそれぞれテントを張る。焚き火を囲んでの夕食は盛り上がった。
(Camping,Colong Caves)

12日目 July 17
 キャンプの朝は爽やかだった。
 皆で焚き火を囲んで座り、驚いたことにひとりがいきなり聖書を読み上げ始めた。よく考えると今日は日曜日だから、礼拝である。その間中ほかの誰一人声を出さず、じっと聞き入っている。何十分続いたのだろうか。その内容をほとんど理解出来ない私には長い時間だった。
 帰りは4駆ならではの林道を楽しんだ。川を渡り、悪路を越え、急斜面を登る。いくら走っても舗装路に出てしまうことなどない。これほど楽しめる林道がこれほどの距離続くなどということは日本ではありえない。
 ここをオートバイで走りたい。心の中でそんな気持ちが一瞬湧き上がった。カンガルーが森の中を飛び跳ねていた。
(Mr.Crane's House,Heathcoat)

13日目 July 18
 ロドニーとその家族に見送られてHeathcoatを出発した。別れ際に、これを持っていくようにと聖書を手渡してくれた。日本でいうお守りのようなものだと思う。ありがたく持っていくことにした。
 しかし、心には迷いが生じていた。
 黙々とペダルを踏み続けながら考える。自分はこの広大なオーストラリアを、この自転車で、この足で、走りきることが出来るのだろうか。走ろうという気力が薄れてきているような気がした。疲れのせいもあったかもしれない。しかし、それだけではなかった。
 これまでに、私はオートバイでの旅を愛してきた。北海道の自然は感動を与えてくれ、東北の人情はあたたかみを教えてくれた。九州で起こした事故は旅の教訓を強烈な痛みとして思い知らせてくれた。全国をいろいろと周った。どの旅もが素晴らしかった。だからこそ、こうしてオーストラリアを旅している・・・
 オートバイで来るべきではなかったのか。
 今ならまだやり直せるかもしれない。私はオートバイで走るべきなのだ。旅はまだ始まったばかりではないか。
 それは、バイクで走りたいという衝動だった。そう決断した私は鉄道の駅を地図で探し、シドニー行きの2階建て列車に自転車ごと乗っていた。
(C.B.Private Hotel,Sydney)

 とうとうオートバイで周ることに。これだから旅はおもしろいのです。


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