あなたは166,014km(本日1km ⁄ 昨日2km)を走破したライダーです!

Australia - オーストラリア縦横断オートバイ旅行記 1988


第2章 自転車で出発(10日目〜13日目)

荷物満積載の自転車を部屋から出す
荷物満積載の自転車を部屋から出す

10日目

出発の朝は、自転車をホテルから出すという予想外の重労働から始まった。すでに自転車は部屋の中で組み上げてあったが、それを1階ロビーまで降ろすのは初めてだった。ここにはエレベーターがないため、3階の部屋から1階まで階段を使うしかない。スペアタイヤ、ワイヤ類、工具一式などのパーツも合わせ荷物をフル積載の自転車の重さは50キロだ。これを途中折れ曲がりながらの狭い階段を人力で降ろした。
階段で自転車と格闘する悲惨な姿の日本人を、見るに見かねた人たちが手助けをしてくれなかったなら、おそらく1階までたどり着くことさえできなかっただろう。ようやく自転車をロビーに降ろし終えた頃には、そんな大騒ぎに人も集まり、彼らに見送られ勇気付けられてホテルを出発することができた。

天気はいい。プリンセスハイウェイを南へと自転車を走らせる。この南太平洋沿いのルートは、メルボルン、そしてアデレードへと続く。距離は約2,000km。そこまで1ヶ月以上はかかるだろう。
クルマが走るためのハイウェイは思いのほかアップダウンが多く、登り坂になると自転車がずっしりと重さを増す。とても乗って漕ぐどころではなく、自転車を降りて押すわけだが、それでも気を緩めると後退してしまうほどのハードさだ。初日から体力の消耗が激しい。それでも周囲の緑豊かな景色はすがすがしく雄大で癒された。

ホテルを出発する
ホテルを出発する

ヒースコートという町にたどり着いたところで、初日でもあるから無理をせずここで泊まることにした。今日の走行距離はたったの37km。この自転車の旅に体が馴れるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
まだ明るかったので、この町でテントを張ることのできそうな場所をのんびりと探すことにする。ゆっくりと自転車を走らせていると、一軒の家の芝生の庭先からオーストラリア人の青年が声をかけてきた。テントを張る場所を探しているのだと話すと、彼が両親と住んでいるその家の裏庭にテントを張ってはどうかと言う。それはありがたいからぜひお願いしますということになり、まるでキャンプ場のように広々とした芝生の裏庭に遠慮なくテントを張らせてもらった。

テントを張り終え荷物を片付けてほっと一息ついていると、家の中からさっきの青年R氏が出てきて、ケイビングに行かないかと誘ってくれた。なんとまたいきなり、ケイビングというと日本語で言えば洞窟探検のことではないか。明日は仲間たちと一緒にケイビングに行くので、よければ一緒に来いという。もちろん、イエスと答えた。

(Private house, Heathcoat / July 15, 1988)

ヘルメットとヘッドランプ装備でコロン鍾乳洞へ
ヘルメットとヘッドランプ装備でコロン鍾乳洞へ

11日目

R氏に起こされたのはまだ暗い早朝の3時半だった。泊りがけのケイビングで出発も朝早いため、持っていくためにたたんだテントと荷物は昨日のうちにまとめてしまい、結局昨晩は家の一室のベッドを使わせてもらっていた。そのおかげで効率よく行動でき、彼の三菱パジェロの助手席に乗り込みケイビングへと予定通りに出発することができた。自分たちの他に3台の車と合流し、R氏の友人の同じくオーストラリア人G氏をはじめ総勢10名ほどが集まり、200kmほど先のブルーマウンテン国立公園へと向かった。

森の中のひらけたキャンプ地には午前中のうちに到着した。そこからは車を降りてさらに山道を1時間ほど歩き、ようやく目的のコロン鍾乳洞の入口までたどり着くことができた。山奥の深い森に囲まれた目の前の岩肌には、直径十数メートルほどの裂け目が口をあけていた。そこには、チケット売場や入場ゲートはもちろんのこと階段も手すりも照明もなく、不気味なほどな自然のままの鍾乳洞だった。R氏から借りたケイビング用のツナギにヘルメットとヘッドランプに身を固め、見た目だけは探検家のような姿になり、皆に続いて鍾乳洞の奥へと進んだ。

ヘッドランプの光の届く範囲以外は上下左右どこもが漆黒の暗闇だった。濡れてすべる岩にしがみつき、地べたに這いつくばり、岩の間をすり抜け、壁をよじ登り、川を渡り、地の底へ飛びおりた。左右の壁に挟まれたすき間を背中と両足でつっかえ棒のように突っ張ったまま、奈落の底へ滑り落ちないよう、カニのように横ばいで前進した。また、足元の大きな割れ目の見えないほど深い底からは轟々と水流の音が響きわたり、そこを飛んで渡れと言われた時には、もう死んだかとまで思った。皆はとても興奮して楽しんでいるようだが、山登りの爽快感とは違い、四方を岩と闇に閉ざされているための恐怖と不安と疲労。まるで別世界に来てしまったようで、時間の概念もなくなっていた。

キャンプの朝
キャンプの朝

そうして何時間進んだのだかわからないうちに、山でいえば頂上、鍾乳洞においては最深部へとようやく着いた。その大広間のようなスペースの中央の岩には、四角い錆びた金属のケースが置かれ、その中には記名ノートが入っていた。到達の証拠として、ペンをとり全員が一人ずつそれぞれの名を書き込む。もちろんそこには日本人第一号として自分の名をしっかりと漢字で書き記した。
鍾乳洞から出ると、外はすでに夕方に近い時間となっていた。やはり元の現実世界は安心する。山道を歩いて戻り、キャンプ地にそれぞれがテントを張った。焚き火を囲んでの夕食はにぎやかでとても盛り上がった。

(Camping, Colong Caves / July 16, 1988)

ブルーマウンテンのダートを走る
ブルーマウンテンのダートを走る

12日目

キャンプの朝は爽やかに明けた。全員が焚き火を囲むように集まり腰をおろすと、いちばん年長者の男性が一人だけ立ち上がって聖書を読み上げ始めた。今日は日曜日なので、礼拝であった。それは30分ほど続いただろうか。皆はその間中じっと静かに聞き入っていた。こういう速さで話される英語には理解が追いつけず、聖書の内容もまったく知らない自分には、残念ながら少し長すぎて苦痛な時間ではあったのだが……。

帰路は、四輪駆動車でブルーマウンテンでの走りを楽しんだ。R氏の三菱パジェロ、G氏のトヨタフォーランナー、そして日産サファリなど、フロントグリルにカンガルーバー、ルーフまで届くシュノーケル、内蔵のスペア燃料タンクや無線機など、どの車も本格的な装備だ。悪路を越え、橋のない川を渡り、急斜面を登り、直線のダート路を疾走した。どれだけ走っても舗装路に出ることはない。オーストラリアはスケールが違う。これほどの未舗装路が続くなど、日本では考えられないことだ。

川を渡る
川を渡る

エンジンで駆動する迫力とスピードとスリルは、自転車では味わうことのできない、モータースポーツの世界だ。このオーストラリアの自然の中を、車ではなく自分のオートバイで自由に走り回ることができたならどんなに素晴しいことだろう。森の中を飛び跳ねてゆくカンガルーの姿をパジェロの助手席から眺めながら、そんなことを考えた。

(Private house, Heathcoat / July 17, 1988)

13日目

ケイビングから帰ってR氏の家にもう一晩泊めてもらい、今朝は彼とその家族に見送られてヒースコートを自転車で出発した。これを持っていきなさいと、小さな聖書を手渡してくれた。日本でいうところのお守りのようなものだろう。ありがたく持っていかせてもらうことにした。

R氏宅を出発する
R氏宅を出発する

自転車のペダルを黙々と踏み続けながらも、昨日から迷い続けていることについて考えた。オーストラリアの自然のスケールを知り、R氏と味わった四駆でのドライブにとどめを刺されてしまった。オートバイで走りたいという思いが消えない。はたして、この広大すぎるオーストラリアを自転車で走りきることができるのだろうか。そんな不安もまたこの思いを後押しした。

少し言い訳をするならば、実は自転車での旅は今回が初めてだ。日常の足はオートバイで、日本には400ccを残してきている。学生の頃からオートバイが好きで、ツーリング同好会にも属し、本州各地はもちろん、テントを積んで北海道や九州も周った。北海道の雄大な自然、東北のあたたかな人情味、それから九州では旅の教訓を事故の痛みとして思い知らされたりもした。オートバイの旅は、生身を風雨にさらし、行く先々の土地に溶け込み、素晴しい一体感と充実感を与えてくれる。
そして、だからこそ、最初はオートバイでオーストラリアへ行くことを考えたのだが、この計画を進めるうちに少し気持ちが変わってきた。一生に一度行けるかどうかの旅なのだから、ここは自分の力だけで走る自転車にするべきではないのかと思い始めたのだ。自転車の旅に慣れているわけではないし、走り続ければなんとかなるだろうという甘い考えももちろんあったが、そんな決心で自転車でここまで来た。

コールクリフ駅ホームでシドニー行きの列車を待つ
コールクリフ駅ホームでシドニー行きの列車を待つ

本当は、一生に一度なのだからこそ好きなオートバイにすべきではないのか。迷いに迷った末、オートバイで走りたいと衝動はとうとうピークに達した。旅は始まったばかりだ。今ならまだやり直せるかもしれない。オートバイで走るべきだ。後悔しないためにも……。
決断したのならば行動だ。まずは仕切りなおしのためにシドニーへ戻ることにした。地図で確かめると、シティレール・サウスコーストラインのコールクリフ駅が近そうだ。そこからシドニーのセントラル駅までは10駅ほど。この鉄道を使うことにした。そして、2階建ての列車に自転車と共に乗り、再び懐かしのシドニーへ戻った。

(C.B.Private Hotel, Sydney / July 18, 1988)


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