あなたは129,593km(本日13km ⁄ 昨日19km)を走破したライダーです!

Australia - オーストラリア縦横断オートバイ旅行記 1988


第3章 再びシドニーへ(14日目〜22日目)

14日目

シドニーに戻り、またCBプライベートホテルに泊まってしまった。やはり慣れ親しんだここは勝手もわかっているし居心地がいい。万全を期して再出発の準備をするために、しばらくここに滞在することにした。

オートバイに乗り換えるといっても簡単ではない。オートバイは新しく購入することにした。ただし帰国時には持ち帰らず売却するつもりだ。ヘルメット、ウェア、ブーツ、工具類、ある程度のスペアパーツも必要だ。そして、この自転車は日本に送り返さなければならない。資金はこれで大幅に減ってしまうので旅の期間が短くなることは避けられないが、スピードは数段アップするから距離は延びる。結果としては多くを見て周ることができるだろう。後悔はしないつもりだ。

新車で購入したSUZUKI DR250S
新車で購入したSUZUKI DR250S

オーストラリアはオフロードバイクで周るのだと、これだけは決めていた。ホテルの近くでアクションスズキというバイクショップを見つけ、スズキDR250Sというオフロードバイクを買う。スズキであるからもちろん日本車なのだが、カラーリングも含めて日本では見たことのない車種だ。オーストラリア仕様と思われる。エンジンは4ストローク単気筒250cc、始動はデコンプレバー付きのキックスターター。馬力は低いが耐久性はありそうだ。そして、これに大量の荷物を積めるよう、シート後部に大型のキャリアを作り付けてもらう。
ここではオートバイの購入は意外と手続きが簡単で、即日で車両登録とナンバー交付も完了し、早くも夕方には納車された。

もうたまらずに、オートバイにまたがり、シドニー市内を軽く走らせてみる。これまでにずいぶんと歩き回った街だが、視点が車道からになっただけで新鮮に見えてくる。快調だ。オートバイって素晴しい。まるで翼を手に入れた気分だ。これならいけると確信した。

(C.B.Private Hotel, Sydney / July 19, 1988)

15日目

自転車を日本に送り返すためには、航空便と船便がある。時間はまったく急ぐ必要がないので、コストの安い船便を使うことにした。電話帳で市内の貿易エージェンシーを見つけ、電話で確認をしてから、自転車を預けに行った。1つのコンテナに他の荷物と一緒に詰め込んで大きな貨物船に載せるため、到着時の自転車の状態は期待しないほうがよさそうだ。1ヵ月半ほどで日本に着くという。不覚にも短い間ではあったが、これまで頑張ってくれた自転車としばらくのお別れをした。

(C.B.Private Hotel, Sydney / July 20, 1988)

再びのオペラハウスとハーバーブリッジ
再びのオペラハウスとハーバーブリッジ

16日目〜19日目

ここオーストラリアでの給油は、日本のガソリンスタンドとは少し違い、日用品の販売や簡単な食事までできるロードハウスで行うことになる。このロードハウス間の距離は500km以上になることも珍しくなく、これを日本に例えるならば、東京から大阪までの間にガソリンスタンドが一軒もないということになる。しかし、オートバイの燃料タンクは9リットルほどのため200〜300kmしか走ることができない。ガソリンを携行するための予備タンクが必須だ。これはプラスチック製のものも見かけたが、安全を考えて頑丈そうな鉄製の10リットル入りのものをミリタリーショップで買った。

オートバイで大切なレバー類の予備も欠かせない。転倒で折れやすいクラッチレバーなどは、これなしでは発進がそうとう困難になり、状況によっては命にもかかわる。これらの予備パーツ類はアクションスズキで取り寄せてもらう。
また、車体に使用されている各ボルトのサイズに合わせて、レンチなどの工具類も完全にそろえた。ハードウェアショップで見つけたSIDCHROMEのコンビネーションレンチは他よりも少し高価ではあったが、オーストラリア製の丁寧な作りで永久保証付きだ。これは帰ってからも一生ものとなるだろう。

ウエア類のサイズには困った。特に足に関するものはミディアムサイズでも日本よりずいぶんと大きい。オフロードブーツとソックスはどうしても小さいものが見つからず、しかたなく大きめのもので我慢することにした。ところで、これらの衣類などのサイズ表記は日本と同じでS、M、Lの文字なのだが、ここの人たちは決してエス、エム、エルと略すことなく、スモール、ミディアム、ラージと言う。そんなところに感心したりもした。

このようにして、装備の準備それぞれに応じ、それはもう様々な専門店を探し回るという毎日だ。それでも、オートバイという足があるから、着々と進んでいる。この調子なら来週には出発できそうだ。

(C.B.Private Hotel, Sydney / July 21-24, 1988)

シドニー湾のかもめ
シドニー湾のかもめ

20日目

シドニーに戻ってからすでに一週間が経ってしまったが、ようやくオートバイで再出発するための準備が整った。これでもういつでも旅立つことができる。
フードセンターの韓国人L氏からは、自転車で出発する一回目のシドニーのときから、家に泊まっていくようにと誘われている。いよいよ明日の晩は泊めさせてもらうことにした。気持ちにも余裕が出てきたようだ。あせらずに楽しんでいこう。時間はまだあるのだから。

(C.B.Private Hotel, Sydney / July 25, 1988)

21日目

日本人のN氏とは数日前にアクションスズキで知り合った。彼もまた日本からやってきて、オーストラリアを走るためのオートバイを探していた。お互いに有意義な情報交換もでき、日本人同士で同年代ということもあり、今では行動を共にすることが多くなっている。

韓国人L氏の家には、日本人N氏も誘って一緒に泊めてもらった。郊外のライドという街の小高い丘の上に建つ彼の家からはシドニーの街を一望でき、素晴しい眺めだった。そして、やはりここにも芝生の庭がある。男3人は共通に通じる英語で明け方まで語り合った。

(Private house, Ryde / July 26, 1988)

シドニー湾のかもめ
シドニー湾のかもめ

22日目

ようやく3人が起きたのは昼近くになってからだった。せっかく男手もそろったということで、以前からL氏が購入してまだダンボール箱に入ったままだった組み立て式の家具を、ああでもないこうでもないと3人がかりで時間をかけて組み立てる。カラーは黒。なかなか大きくて立派なしゃれたデザインの本棚が完成した。

L氏には食事からいろいろと本当にお世話になってしまい感謝している。そんな彼に、明日はオートバイでシドニーからの二度目の出発になることを伝え、今夜はCBプライベートホテルへ戻ってきた。よし。いよいよ明日だ。

(C.B.Private Hotel, Sydney / July 27, 1988)


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