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第4章オートバイでの再出発
−The Diary 1988 in Australia−

23日目 July 28
 野村氏に見送られてシドニーをあとにした。
 オートバイの旅が始まった。快調だ。
 先ずはメルボルンを目指す。最初自転車で計画していたのと同じコースだ。海岸沿いのプリンスハイウェイを南へ1000km。しかしのんびりと1週間ほどかけて行くつもりだ。そしてメルボルンの次はアデレードを通り、内陸部を北へダーウインへと向かおうと思う。ただ、さらに4000kmも先の話であるし、旅は行方がわからないほうが面白い。これ以上先のルートを考えるのはやめておこう。
 プリンスハイウェイを走る。遠いと思っていたHeathcoatの町をあっけなく通りすぎる。シドニーから数時間走っただろうか。海沿いの小さな町Kiamaでキャラバンパークを見つけ、今日はここにテントを張ることにした。
 キャラバンパークとは日本でいうオートキャンプ場のようなものである。クルマでキャラバンカーを牽引してきて泊まることが出来るように広いサイトを持ち、実際ここではこのような旅行者たちが一番多い。共同のトイレとシャワーそしてコインランドリーなどもあり、テント持ち込みで一泊5Aドルほどと安いのが助かる。
 海の上をペリカンが数羽飛んでいた。まるで翼竜のような姿で滑空するペリカンは想像以上に大きく迫力があった。自分が野生のペリカンを生まれて初めて見たことに今ごろ気づいた。
(Surfside Caravan Park,Kiama)

 思い返せばこの出発まで1ヶ月近くかかってしまいました。

24日目 July 29
 荷物が多すぎる。この積荷ではダートを走ることなど不可能だ。少しでも重量を減らすため不要な衣類を捨てることにした。
 ここでの今の季節は冬だが日本ほどは寒くない。以前、冬の北アルプスや八ヶ岳に登る時に着用した思い出深いフリースのジャケットを捨てる。下着は二組だけを残した。ラジオも捨てた。生きるために。
 Batemans Bayのキャラバンパークでテントを張る。
(Coach House Tourist Van Park,Batemans Bay)

 おそらく30キロほどもあったであろう荷物を、こうして少しずつ減量していったのです。


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