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第8章 アデレード・前編
−The Diary 1988 in Australia−

38日目 August 12
 夕方早めにアデレードに到着した。街外れのキャラバンパークにテントを張り、荷物を降ろす。身軽になったオートバイで街に出て、とりあえず夕食を食べることにした。マクドナルドを見つけ、あまり探すのは面倒なので、ハンバーガーをEat inで食べることにする。ここではお持ち帰りはTake away、店内お召し上がりはEat inだ。100%オレンジジュースが旨いので、必ずハンバーガーと一緒に注文することにしている。日本と違って、ミカンではなくオレンジが100%だから旨いのだろうと思う。
 問題はキャラバンパークに戻る時に起こった。オートバイをいくら走らせても、キャラバンパークがない。来た道を戻るが、どうしても辿りつけない。どうも、道が変だ。すでに日は沈み、太陽を目安に方角を知ることも出来ず、アデレードの街を走りまわる。
 道に迷ったのだ。来た道を戻っているつもりが、どこか間違っているのだろう。そろそろこの辺りだろうというところまでは来るのだが、気付くと全く見覚えのない風景になってしまう。そして再び近づく。しかし、また離れていく。完全にこの繰り返しに陥ってしまった。同じ所を何度も周っているのが自分でもわかった。そうして、それほど大きくないアデレードの街を何周したのだろうか。
 キャラバンパークは、いつのまにか目の前にあった。辿り着いた。オートバイの距離計は、迷いながら100kmも走ったことを教えてくれている。時間にして何時間経ったのだろうか。しかし、もうそれを考える気力も残っていない。これほど迷うとは思ってもみなかった。疲れた。
(3760km,Adelaide Caravan Park,Adelaide)

39日目 August 13
 スプレー式のチェーンオイルを、オートバイの後輪を駆動するドライブチェーンに吹き付ける。これが毎朝の日課になっていた。チェーンの磨耗は伸びとして表われる。そして、後輪を後方に移動させるようアジャスタで調整をしなければばらない。しかし、少し前からどうもその伸びがやけに早いような気がしていた。この調子だと、それほど走らないうちに、アジャスタが効かないほどに伸びきってしまいそうだ。
 ふつう、オートバイにはシールチェーンが使われていることが多い。シールチェーンは、可動部にグリスを封入し、それが流れ出さないように各可動部をゴム製のO(オー)リングで密閉してある。伸びを抑え耐久性も高いものだ。しかし、このDR250Sのチェーンが、そうでなくノーマルチェーンだということに気付いた。これが伸びの早い原因だった。思ってもいない事であり、今まで気付かなかった。アデレードを出る前にショップを見つけすぐに交換する。大同工業製のシールチェーン。日本製だ。以前にも同じ物を使ったことがあり、耐久性も十分だろう。これで安心だ。
 アデレードを出ると、急に風景が変わってきた。草木がなくなり、荒涼とした雰囲気になってくる。Port Augustaという町でテントを張ることにした。
 シドニーから4000km。ほぼ海沿いをここまで走ってきた。ここからはスチュアートハイウェイを内陸部に進むことになる。まっすぐ北へ、ダーウィンを目指すのだ。すでに気温は高く、Tシャツ一枚で過ごせることに驚いた。ほんの2、3日前まであれほど寒くて震えていたことが、まるで嘘のようだ。
(4099km,Shorline Caravan Park,Port Augusta)


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