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第9章アリススプリングス・前編
−The Diary 1988 in Australia−

43日目 August 17
 ノーザン・テリトリー州に入った。ここからハイウェイの制限速度はなくなる。速度無制限である。しかし、相変らずのマイペースでオートバイを走らせる。
 路上にはカンガルーや牛の死骸をよく見かける。車に撥ねられたものだ。死んだ直後らしく血を流しているものや、腐ってガスが溜まり風船のようにパンパンになっているもの。干からびて骨と皮だけのミイラのようになったものもある。思わず目をそむけてしまう。彼らが車の前に飛び出してくるため、ほとんどの車は、カンガルーバー等と呼ばれる太いパイプのガードをフロントに取り付けている。しかし、それでもぶつかれば車も無事では済まないだろう。オートバイの自分はなおさらだ。気をつけなければならない。
 アリススプリングスの手前200kmほどのところで、エアーズロックへの分岐点がある。ここから左、西側に曲がれば250kmほどで世界最大の一枚岩、エアーズロックだ。しかし先ずはアリススプリングスを目指さなくてはならない。再会の約束を守るためだ。そのあと、またここまで戻ってくればいい。今はこの分岐を直進する。まっすぐ北へ。
 周囲を岩山と荒野に囲まれた町、アリススプリングスに到着した。久々に見る信号機。巨大なスーパーマーケット。想像以上に大きな町。今まで走ってきたルートの寂しさを考えると、まるでオアシスのようだ。
 ラリーのスタートの日まであと3日。ここで野村氏と香川氏を待とう。
(5412km,Stuart Caravan Park,Alice Springs)

44日目 August 18
 そろそろ誰かと会えるのではないかと思いながら、町の中を一日中ぶらぶらした。しかし、今日はとうとう誰とも会えなかった。
 夕食には米を炊くことが多いのだが、コッフェルで一人分の米を炊くのはなかなかむずかしい。吹きこぼれやすく、火力の具合も微妙だ。芯メシやこげ付きなど失敗もある。しかし、今日は大成功。久しぶりにうまく炊けた。コッフェルの蓋を少しずらしたまま炊いたのがよかったようだ。ふつうは蓋を開けないのが常識だが、小さいコッフェルではこの方がいいのだろう。今日のメシは旨い。
(5471km,Stuart Caravan Park,Alice Springs)

45日目 August 19
 夕方、一台のオートバイがキャラバンパークに入ってきた。乗っているのは日本人だ。それも見覚えのある顔。なんとシドニーのビーチで会った山下氏ではないか。シドニーで、オートバイに乗りたくてウズウズしていた彼と会い、自分のオートバイを一瞬だけ貸したのだった。その後、彼はオートバイを入手したようだ。久しぶりだ。こんな所で会えるとは思ってもみなかった。彼も人を探していて、このキャラバンパークを覗いてみたのだという。しかし、残念ながらいないようだ。ここでは日本人を見かけない。そのことを確認すると、彼は他を探すために走り去った
 彼から、今回のラリー出場者たちの宿泊施設が町外れにあることを教えてもらった。そこに行けば、なにか手がかりがつかめるかもしれない。自分はそこへ向かうことにする。オートバイを走らせ、夜のアリススプリングスを行く。
 その広い敷地には、いくつかの平屋建ての宿舎が余裕をもって配置されていた。どこも選手たちで賑わっている。そのままオートバイで乗り入れて、ゆっくりと行く。しばらく探していると、日本人の集まりを見つけた。宿舎の前でバーベキューをやっているようだ。オートバイで近づいていくと、その中の一人がこちらに向かって来た。その顔を見て、感動が込み上げる。
 香川氏に会えたのだ。ここまで来てよかった。今まで走ってきてよかった。彼は、すでに何日か前からここに来ていたのだった。ただ、まだ野村氏には会っていないという。彼はどこにいるのだろう。心配だ。
 明日はラリーの予選があるという。応援に行くことを約束し、ひとまずキャラバンパークのテントに戻ることにした。
(Stuart Caravan Park,Alice Springs)


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